「目標がない」というと、それはいけないことのような気がしませんか?
実際に「目標がない」で検索をかけてみると、目標の見つけ方のサイトがたくさん表示されます。
本当に「目標がない」=「無気力」ということなんでしょうか?
この記事では、「目標がない」ということについて「いけない事じゃないよ!」という理由を説明します。
目標はないといけないのか?

私はずっと目標は持つべきだと思っていました。
だって、目標を持つことによって、自分の進む道がはっきり見え、努力の方向が分かるからです。
達成した時の達成感もあります。
こんな記事も書いたほどです。
でも、禅の考え方には「人生は受け身」というのがあると知りました。
みたいな感じです。
私たちは学校でも、就職活動でも、いつも「目標」を聞かれました。
それに対して「目標がない」と言うのは、いけない事だと思い、一生懸命目標を絞り出してきました。
でも、「目標を持つこと」を勧めない世界が、私たちの住む日本のなんとも近くにあったのです。
シッダールタから学ぶ目標について

ヘルマンヘッセが東洋の教えを書いた「シッダールタ」という本があります。
でも今回、職場のおっちゃん(尊敬している)に薦められて、意を決して読んでみました。
ざっくり言うと、インドの最高階級であるバラモンとして生まれ育ったシッダールタ(人の名前)が、修行や色んな経験を通して悟りを開く話です。
シッダールタが「目標」について語る部分が、若いころと悟りを拓いた後にあるのですが、とても興味深かったです。
青年時代のシッダールタは目標についてこういいます。
シッダールタはこの時、意中の女性をGETしたわけですが…。
「目標」が達成できるような心で常にいて、他の物に惑わされず待っていれば、自然と目標は達成できると言っています。
「考えること」と「待つこと」が目標達成には必要だと言うのです。
目標にたいしてがむしゃらになったりすることはありませんでしたが、かれは確かに「目標」は持っていました。
それが、色々経験をして悟って変わってきます。
目標があると、目標を追うばかりに、目と鼻の先にあるものすら見ていない状態になると説いています。
目標を持つことで、視野が狭まってしまう。
シッダールタは「悟り」を拓くことを「目標」としていたのですが、結局それは「見出さなくていけない」と気が付くんです。
それは目標が「悟り」だったからかもしれませんが、どんなに学んでも、修行しても、自分で見出さなくては満足ができなかったのです。
未来も全部「今」の中にある。
私たちはこれから目標に向かっていく不完全な存在ではなくて、今のどの瞬間も完全な存在なんです。
夢見る完全な世界と現実を比べる事をやめ、あるがままにまかせて、そこに喜んで所属すればいいのです。
まさに「今ここ」の禅ですね…。
禅についてはこちらの記事にも書かせてもらいました↓
私の読んだシッダールタは秋山英夫さんの訳のものです。難しすぎず、おススメです。
目標がないとはどういうことか

目標がないというのは、どういうことなんでしょうか??
本当に、目標がない人は頑張っていないのでしょうか?
そんなこともありません。
明確な目標がなくても、その日必要だと思う事はコツコツやっている人がほとんどです。
目標がないからこそ、今あるものへの感謝を感じ、幸福に包まれることがあります。
心を開き、色んなものを吸収できる状態になります。
自分がなんとなく思い描いていた未来とは変わることがあります。
その可能性が入り込む余地を残しておくことができます。
人は目標を達成するために生まれてきたわけではありません。
自分らしく、活き活きと生きた方が、何倍も幸せなのです。
だから、自信を持ってください。
目標がない人も大丈夫!
まずは、「目標がない」ということが「いけない事」と思うのを止めましょう!
確かに、目標があって、それに向かって頑張っているときは、成長を自分で感じられるから楽しいと思う事が多いです。
何か自分に欠けていたものが埋まっていく幸福感があります。
目標がないから、目標がある人より頑張っていない、というわけでもありません。
目標がなくても恥じる必要はありません。
もちろん目標があるからいけないというわけでもありません。
目標が必要ならば作ればいいし、今、特別必要としていないならば、無理に作る必要はありません。
目標がなくても、全然大丈夫なのです。
まずは、それを知りましょう。