先日、ドイツ人の精神分析医であるフレデリック・パールズの書いた「ゲシュタルトの祈り」で、人間関係の「境界線」をしっかり決めることが大切という話をしました。
こちらの記事をご覧ください↓
「ゲシュタルトの祈り」では「1人の人」として自立することが大切だと学びました。
パールズの死後、弟子だったウォルター・タブスが、「パールズを超えて」という詩を発表しました。
今日は、1人の人間として自立した後の人間関係について書かれたこの詩を紹介します。
「ゲシュタルトの祈り」の返歌「パールズを超えて」
では、早速「パールズを超えて」を紹介します。
私が私の人生を生き、
あなたがあなたの人生を生きるなら、
私達はお互いの絆を、そして私達自身を見失ってしまうかもしれません。
私は、あなたの期待に応えるために生きているのではありません。
でも、あなたを1人の特別な存在として認めるために、
そして、あなたからもそう認められる存在であるために生きています。
私達は、心が触れ合った時に初めて本当の「私達」になれます。
心の触れ合いがなくなってしまえば、「私達」を見失ってしまいます。
私は、あなたに偶然出会ったのではなく、
思いきって手を延ばしたから、あなたに触れることが出来たのです。
私は、成り行きに任せず、積極的に求めることができます。
始まりはいつも「私」。
でも、私は決して「私」だけでは終わりません。
真実はすべて「私とあなた」の中にあるものだから。
(英文)
If I just do my thing and you do yours, We stand in danger of losing each other And ourselves.
I am not in this world to live up to your expectations, But I am in this world to confirm you As a unique human being, And to be confirmed by you.
We are fully ourselves only in relation to each other; The I detached from a Thou Disintegrates. I do not find you by chance; I find you by an active life of reaching out.
Rather than passively letting things happen to me I can act intentionally to make them happen. I must begin with myself, true; But I must not end with myself; The truth begins with two.
「ゲシュタルトの祈り」と「パールズを超えて」の違い
「自分は自分」「あなたはあなた」。
「ゲシュタルトの祈り」では、「自分が自分として生きる」のを認めると同時に、「他人がその人自身の人生を生きる」のを認めることの大切さ学びました。
ドライなようにも感じますが、健全な人間関係の境界線です。
アドラー心理学でいう所の「他人の課題には介入しない」というやつです。
お互いしっかりと地に足を付けて立つために、境界線を引くのは大切です。
だけど、人との交わりも同じく大切なのです。
「幸福」について研究した「幸福学」でも、人との関りが幸福度を上げるという結果になりました↓
人を通して自分を知ることがあるし、そもそも1人では世界は成立しません。
自分が自分を大切にするように、人が人である事を大切にする。
積極的に人と関わり、1つ1つのご縁を大切にする。
人間は生まれた時から人に囲まれて育つ社会的な生き物です。
人との関りをなくして、生きていくことが出来ません。
「パールズを超えて」は、そんな人との縁を大切にすることに気が付くチャンスになります。